
わたしたちには、理解する機能があります。
それが生きることをスムーズにしてくれるし、
さらなる理解へのステップを作ってくれたりします。
でも、「わかっている」状態と、自分の存在価値がくっつくと、
少し自分が自由になるのを邪魔します。
なぜなら、「わかっている」状態を守ろうとしてしまうから。
「変わりたい」と思っていた頃、
目指す状態に早くなりたい自分がいて、
頭で理解したつもりになることがとても得意でした。
頭でわかったつもりになると厄介なものです。
なぜなら、自分が理解した「つもり」のイメージの中に入り込んでしまって
素直な心でその場にいることができないからです。
わたしたちの意識は、頭で「これはこういうもの」とラベリングすると、
物事をそのように見ようとします。
無意識に当てはめようとします。
それは、素直にその場を味わうことから遠のいていますよね。
受け取る型を前もって決めていて、そのカタチでしか受け取らない。
それ以外は間違っているものにしてしまいがちになります。
物事には、受け取る人によっていろいろな側面が引き出され、
いろいろな受け取り方、理解の仕方になります。
だから、どれが正しいに焦点を合わせてしまうと
いつまでも自分のイメージから抜け出すことができないし、
本当に大切なことは見えてこないし、体験もできないのです。
それまでの自分の見方はあるけれど、
いったんそれを横に置いて新しいまっさらな気持ちでその場を受け取ってみる。
それはもしかして少し不安や怖さを伴うことかもしれないけれど、
心がとても自由な状態で本当に大切な体験を味わうことになるかもしれません。