
東日本大震災から5年が経ちましたね。
三浦市では、震災の起こった時刻14時46分の直前に
防災センターより哀悼のための放送が流れました。
5年前のあの日、私はセッションの最中でした。
結構大きく揺れたものの物が倒れてくるということもなく。
最初は、すぐに揺れも落ち着くかなと対して気に留めていなかったものの
結構長く揺れが続いたので、頭の中で避難方法をイメージしながら様子を見ていました。
しばらくして揺れはおさまり、
幸いなことに、その場は何も変わりはなく感じました。
ただ気づいたら音楽を流していたはずなのに音がなくなっている
照明をつけようとしても照明がつかない。
「停電かな?」と気づいたのはセッションが終了する頃でした。
外に出てみて、
信号がついていなかったり、スーパーやコンビニも店内は暗く、
場所によっては閉めていたり、手計算でレジをしてくれていたり、
少し広範囲で停電が起きているということは伝わってきました。
それでも、それ以外は特に風景もいつもと変わりなく、
海もいつもとあまり変わりなく見えました。
すぐに復旧するかと思っていた停電が暗くなっても復旧せず、
何が起きているかわからない状態が続き、
津波の映像を見たのは多分18時19時くらい車のナビから流れるものでした。
そして、それからまただいぶ時間がたってから
関東でも地震による落下などの被害があったり、
停電により家に帰ることができず家まで何時間も歩いて帰る人たちがいたり、
そんな人たちを受け入れる施設があったりしたことを知ったのです。
少し大きめな揺れという一時的な衝撃はあったものの、
停電により情報が入ってこないということは、とてもふつうに過ごせるものです。
まさか同じ時刻に、さっきまでの人生からは考えられない状況になった方々がいるとは思いもよらないことです。
そのことを知るまでは、わたしの中では起きていないと同じこと。
いえ、知った後さえ、かなりの衝撃やショックを感じましたが、
そして家族や友人たちの安否が気になりましたが、
実際にその場に居たわけでもなく、そしてその時はすでに起きた後だったので、
さらにわたしの目に映る世界は同じように続いていたので
どのように表現したら適切なのかわかりませんが、違う世界のことでした。
その後、何回か本当に本当に微力ですが
東日本大震災に関わるボランティアをさせていただく機会がありました。
そこで現地に行って実際に被災地を訪れたボランティアの方々の話を伺い、
テレビでは報道されない地域の様子、そこで過ごされている方々の様子を知りました。
それにより、わたしには目の前で別の世界の時が流れ続けてはいましたが、
テレビを通じて知るような、だいぶ遠いような世界から、少し近づきました。
被災地に赴いて何かできることを!と思う方々がいます。
そして、そういう力はとても大切だと思います。
でも、わたしには、目の前の世界を生きる中で、
自分のタイミングで支援することをしたいと思いました。
いろいろな考え方があるからいろいろなサポートの形があり、
それはその時その時の必要な力に繋がると思います。
それが例えば、支援やボランティアという言葉とは無縁だったり、
それを連想させるようなことと程遠いことであっても、
ただ自分の世界を本当に大切にして生きるということは、
それだけでなにかしらの力になっている。
そんな気がします。
だから、大きな出来事、痛ましい出来事と
無理やり自分の世界に引き込んでそこで何かを感じようとするのではなく、
周りに合わせようとするのではなく、
素直な自分で、目の前の世界を大切にして生きようと思います。
もちろん無関心でOKと言っているのではありません。
今、わたしの生きている世界は、目の前の現実。
それを大切にして、生きる力を養わなければ、
もし何かがあった時、また、応援の出番があった時に動けない自分になります。
震災に合われた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
そして、被災された方々を心より応援しています。