Reonel

「今」なにするの?

先日携帯の中の写真データの一部が壊れていることが発覚しました。

少し前から写真の一部が表示されないことには気づいていました。
なんとなく不安を感じていたものの、きっと表示するだけのメモリがたりないんだろうと勝手な解釈で放置していました。

暫く気になりながらもそうであってほしくない想像が現実だったらどうしようという思いと、面倒くささが手伝って手つかず状態を続けていたのですが、携帯電話の調子が不安定になってきたこともあり、確認をすることに。

どこかでわかっていた結果でした。
が、その瞬間にデータを失くしてしまったショックと「えーーーー!!!」という怒りのようなガッカリ感のような感情が湧き上がりました。

これは、わたしにとってもありがちなことで、そんな感情を感じながらも、そう反応する自分を含めてやっぱりなという感じもしていました。

結構な面倒くさがりで、

後でやろう。時間ができたらやろう。
必要なものはそろっているし、いつでもできる。

と、気づいていながらもついいろいろと後回しにしがち。

今回のデータ紛失事件も、この面倒くさがり行動が起こした結果でした。

写真を撮るのが好きで、携帯のメモリが足りなくなったことから数年前にデータ貯蔵アプリを取り入れました。
これでメモリを気にすることなくどんどん写真を撮れると以前にもまして写真を撮り続けていました。

このアプリを取り入れる前は、パソコンにこまめにデータを落としていたのですが、随時バックアップする機能もあると聞いていたので、それ以降自分でデータを落とすことをしなくなったのです。

それ以来、要る、要らないの取捨選択をしなくなったデータを溜め続けたんですね。

頭のどこかでずっと整理できてないなとは思っていました。
実はバックアップが取れていなくて携帯も壊れてデータがなくなってしまったらどうしようと不安も感じていました。

ですが、手つかずの時間が長くなればなるほどデータは増えていきます。
整理に時間がかかるだろうと思うと、放置していたのです。

現実になってしまいました。

現実ですよと明らかになった瞬間感じた感情は、気づいていたのに放置していた自分に対する後悔や怒りのような思いからなのかもしれません。

やろうと思えば、いつでもできる。
だから今度しよう。

気づいているのに、そう後回しにしてしまう代わりにやっていることは何なのでしょう。
本当に今やるべきことをやっているのでしょうか。

頭でやるべきことを考えるとわからなくなりますが、わたしの場合、何かを後回しにしている時こそ、目の前の事を捉えずらい状態にしたり、気持ちに余裕がなかったり、地に足がついていない時な気がします。

そんな時は、気づく視点こそが見えていない、もしくは見ようとしなくてスル―しようとしている部分を教えてくれているのかもしれません。

失ったデータはショックではありますが、もっと大きなショックを受ける前に自分の生き方を見直すキッカケになりました。

と、記事にしておりますが、のど元過ぎれば…なのだと思います。
この意識している状態はしばらくの後に薄らいで、また後回しにする自分が出てくる。

毎日の過ごし方が、習慣が、染み付いて、自動的に日々を過ごせるようになっている。

だからこそ、瞬間瞬間を意識して丁寧に生きることが本当に大切なのだと思います。

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